自分とカネコアヤノとの出会い

祝祭

祝祭

僕がカネコアヤノという名前を知ったのは母に彼女の楽曲、祝日を紹介された時だった。名前を知った、という表現を使ったのには理由がある。弟が何度も我々家族の前で彼女のライブ映像等を流していたのだ。何となく耳に挟んでいいなぁとは思っていたのだが、その時は歌手名も聞けなかった。うちで弟きっかけで知った曲を聴いていると弟が横で歌いだしたりして何とも恥ずかしく聞き辛い気持ちになってしまうことが多々あったからである。弟には申し訳ないが、そのような小っ恥ずかしさが楽曲への興味より上に行ってしまったのだ。だから母に紹介されたと時も一体誰の話をされているのか殆ど分からなかった。

でも母が新しめの曲を勧め来るという状況そのものちょっとした喜びを感じてしまった。母が熱く語る音楽といえばザ ブルーハーツサニーデイサービスなど彼女が長らく愛聴してきたものが殆どだったので、弟きっかけで知った比較的新しい曲を熱意を持って勧めて来るという状況そのものがまずレアなのである。その上、こんなに自分の気持ちをはっきり歌ってくれてる人は初めてかもしれない、飲み込まれたら現実的な生活に帰ってこれなくなるかもしれない、などのすすめ方にとても強い熱を感じた。自分と感覚が近い母にここまで言わせるなら自分が嫌いなわけはない、じっくり聞いてみようじゃないかと思い、期待に胸が躍った。そして母が聞かせてくれたのが祝日だった。自分に曲を聞かせ終わった後、母はこの曲への思いを再び熱く語り出した。

https://youtu.be/_qDgLENi2dA

「あなたが振り返らなくても姿が見えなくなるまで気づかれないように見送る。出来ないことも頑張ってやってみようと思ってる。」
母はこの部分に痛く共感したらしい。母は父を心から愛している人だ。大好きな人と結婚して、子にも恵まれて死んでもいいほど幸せ、というようなことを自分は幼い頃からよく聞かされてきた。母によると好き過ぎて父が出かけるのを見送るのが辛くなってしまう時も少なくないらしい。でもそんなことを言ってたら日常生活は送れないし父にも迷惑がかかる。そこで自らの愛に制限をかけることにしているそうだ。カネコアヤノの上記の歌詞を聴くと自らが制限していた部分を解放されそうな気持ちになるらしい。まとめると母は「愛し愛されたその先にある切なさがカネコアヤノのこの楽曲を聴くと溢れ出しそうになる」ということを僕に主張して来たわけである。

これに対して僕はかなりカチンときてしまった。僕は当時、失恋したばかりだった。しかもその失恋はかなり複雑な形をしていて、僕のことを特別トリッキーなスタイルで痛めつけていた。そして僕は、愛する人に愛されることが最大の幸せであり、自分はそれを本気になっても得られなかったという悲しみに耐えかねて捻くれた。正直今もその悩みは僕を苦しめているのだが、この時は事件の直後だったので今とは比べ物にならないほどボロボロになっていた。世界で一番好きな人に世界で一番嫌われてしまった、あの人以上に夢中になれる人にこの先出会えないのかもしれない、といった不安感が毎秒僕を痛めつけていたのだ。そんな時の僕にとって「愛し愛されて幸せでいるが故の切なさ」などといった主張は人格に対する攻撃としか受け止められなかった。愛し愛されているだけで十分だろ、その上幸せな家庭を築き上げているくせにまだ自分は切ない気持ちを抱えているなんてよく言えるな、愛されたい人に愛して貰えない気持ちなんて想像も出来ないんだろうな。そんな思いが僕の心をグチャグチャにした。恋愛的に愛し愛されることができている生き物全てが憎たらしく見え、自分の心も身体もそんな幸せな家庭の産物であるという事実が僕を更に追い込んだ。

無論、僕の恋愛事情なんて全然知らないはずの母はこんな気持ちを察するわけがない。この人に今当たるのは理不尽でしかない。そんなことはその時の僕にも痛いほどわかっていた。だが気持ちを隠すのが何よりも苦手な性分なのである。言葉には出さないように努力しても表情や口調までコントロール出来ない。自分が好きな曲を紹介してくれただけの母に最低な態度をとってしまった。終いには「愛されたい人に愛されない人間の気持ちがわかるかよ。まず切なさって言ったらそこだろ。」的なことを吐き捨ててベッドに籠る始末。反省してるが、あの時の僕は本当に限界ギリギリだった。

これが僕とカネコアヤノの音楽のとりあえずの出会いである。この後、どんどんハマっていくことになるのだがそれはまた別な話。