ASIAN KUNG-FU GENERATION「君という花」歌詞 感想 and 自己解釈

 京都に引っ越してから訳あってアジカンの音楽に触れる機会がどっと増えた。その第一歩となったのがファーストアルバムに収録されている「君という花」と言う曲だった。この曲の歌詞について何か書いてみたい気分になったので久しぶりにブログでもやってみようかと思う。特になんの証拠もない自分なりの解釈であること、繰り返される部分を省略していることは許してもらいたい。

 

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 見え透いたフォームの絶望で空回る心がループした

  何気なく何となく進む淀みあるストーリー

 

 大切な人に対して持っていた何らかの思い上がり(見え透いたフォーム)が挫かれてしまった様子について唄っているのだと思う。それに伴う不全感、思い上がっていた自分に対する恥と失望が何度も何度も頭に浮かびループしてくるのだろう。

 そしてそんなことがあっても結局世界も現実も何となく前に進んでいってしまう。「淀みある」という部分が重要かなと個人的には感じる。上記のような悩みや苦しみ(淀み)はあるけれど結局世が止まることはないという無常ともいうべき切なさがこのワードによって強調されているのではないか。

 歌い方の話になるのだが「進む」と「淀み」の間に何の区切りも入れずに唄っていく部分がアジカン節といった趣でとても好きだ。一瞬「進むよ」と言うのかと耳が誤解してしまうようなあの感覚。クセになるし、真似したくなる。

 

 

  いつだって何かを失ってその度に僕らは今日を知る

  意味もなく何となく進む淀みあるストーリー

 

 失って、空回りしてようやく世界、現実の強固さとそこに対する無力感を覚えると言うことかと。「いつだって」「その度に」といったフレーズが入っていることがポイントだと思う。今までも同じような痛みを繰り返し味わってきたはずなのにまた似た状況に陥ってしまった、といった自嘲のニュアンスが加わっている。

 

 

  つまりたったそれ 砕け散っただけ

 

 自分の思い上がりも、それが挫かれた故の無力感、不全感も世界にとっては大した事ではないと言うこと。

 「ただそれだけ」と言わずに「ただそれ」で切っているのが素晴らしい(これもアジカン節と言えるだろう)。普段使う日本語からすると少し欠陥があるように感じざるを得ない表現だ。そこから生じる予想を裏切られたような感覚、あるいは違和感のお陰でやたら印象に残る。

 

 

  見抜かれた僕らの欲望で消えかかる心がループした

  何気なく何となく進む淀みあるストーリー

 

 「見抜かれた僕らの欲望」とは何となく全て(主に2人の関係、日常のことだろうが)うまく行き続けると思い込んでいたこと、或いはそう思い込もうとしていたことを指すのだと思う。当然そこには大切な人に何があってもきっと自分はちゃんと支えることができる、または救うことができるといった思い上がりも関係しているだろう。そういった感情が砕け散り、消えかかっている今もそれらは無力感や恥となって何度も心の中でループする。

 

 

  いつからか何かを失って隠してた本当の僕を知る

  意味もなく何となく進む淀みあるストーリー

 

 思い上がりが砕かれ、自分でも気付きたくなかった、隠していた自身の惨めさに向き合わざるを得なくなってしまったと言うことだろう。「隠してた」と言うフレーズのお陰でそこから逃げたかったからこそ語り部は愛とそれに基づく浅はかな自信に縋ろうとしたのかな、みたいなことまで想像させられる。

 あと少し前にも言おうと思ったのだがいかにも「ASIAN KUNG-FU GENERATION」と言う言葉が似合うようなサウンドの上で「今日を知る」「本当の僕を知る」と言ったワードが出てくると妙に求道者的、東洋思想的な趣が出てくるのも面白い。どの程度意識した上での効果なのかはわからないが恋愛と自意識の問題が東洋思想的な雰囲気(?)の中で語られることで非常にユニークな表現が出来上がっているように感じる。

 

 

  つまりただそれ 砕け散っただけ

  つまりただそれ 風に待っただけ

 

 

  君の目にただ光る雫 ああ、青天の霹靂

  痛み分けなら二等分さ そうさ、僕らの色

 

 自らへの過信が砕かれ、大切な人の涙の前にただ無力であるという事実に対し立ち尽くしている。それを悟った上で「何もできなかもしれないけどせめてその痛みを想い、共にそれを背負って生きたい」と覚悟を決めようとしているのだろう。

 

  白い息が切れるまで 飛ばして駆け抜けたあの道

  丘の上から見える町に咲いた 君という花

  また咲かすよ 君らしい色に

 

 白い息というと冬であったという事。冬の寒い日にも関わらず、外で騒ぎあった思い出が崩れ去った今も残っている。その時と全く同じとはいかないかもしれないけど、無力を悟った上で、いつかまた笑顔にして見せると誓いを立てる。