私が、生きる肌 感想

私が、生きる肌(字幕版)

私が、生きる肌(字幕版)

  • 発売日: 2017/06/30
  • メディア: Prime Video
とんでもない映画を見てしまったという衝撃が身体を何度も巡った。展開そのものに大きな変化によってこちらに衝撃を与えてくる作品、鮮烈な映像と音楽によりこちらの脳に染み付いてくる作品。それらも素晴らしいし大好きだ。しかし正直そういった作品になら今までも何度も出会ってきた。それら一本一本にも勿論特筆すべき個性があり、僕にとって一つとしてかけることが許されないものである。だがその映画自体を見る姿勢、あるいは楽しみ方そのものが見ている途中で大きく変化してしまうような体験はそうそう無い。「私が、生きる肌」は勿論先程書いたような展開による衝撃、鮮烈な映像と音楽も多分に含んでいる作品であるし、それだけで圧倒的な魅力を放っている。しかし本作が真に特徴的なのは作品を見始めた時には予想もしていなかった種類の感動に我々を誘ってくれる点であると僕は思った。

最初に僕がこの作品に興味を持ったのはおそらく小学生6年生の頃。当時、映画にはまり出していた僕は「私が、生きる肌」というタイトルとそのポスターから漂う異様な生々しさにショックを受けた。そしてこれはきっとひどく恐ろしく、見た物に多かれ少なかれ何らかのダメージを与える映画なのだろうと思った。今の自分には早すぎるのだろうと。とはいえ興味はあったので予告を見てみた。ベットリした質感の絵の具がふんだんに使われた油絵のように鮮烈な色使い、閉じ込められているであろう女性の監視映像を確認する中年男をまるで動物園でライオンを見る客のように捉えた気味の悪い演出、激しく掻き鳴らされるバイオリンような弦楽器の音、役者たちの鬼気迫る表情。本編の刺激をかなり抑えているはずである予告だけで十分、当時の僕には刺激的だった。怖気付いた僕はいろんな映画を見たりいろんな体験をしたりしてからこの映画を見ればいいと判断して本作の存在を心の奥にしまっておくことにした。今思えばあれは正解だったのだろう。それから7年近く経ってそれなりに成長したはずの今の僕から見ても本作は十二分に刺激的だったのだから。でもそこにあったのは僕が予想していた種類の刺激だけではなかった。

見る前からアントニオ バンデラス演じる医師が利便性の高い肌を作り出し、それを使って失った妻を取り戻そうとするという筋は知っていた。そこから失った者への歪んだ愛ゆえに禁忌を犯してしまう人間の心を炙り出すような内容になるのかなと何となくの予想を作り上げた。要はより碇ゲンドウを完全に主役に置いたエヴァンゲリオンのような映画なのかなと。その予想は一応あったていた。自分が想像していた以上にエクストリームな碇ゲンドウの姿がそこにあったわけだ(エヴァンゲリオン碇ゲンドウも超エクストリームなのだし、やっていることの規模の大きさだと比べ物にならないのだが)。激しいレイプ描写や美しくも気味が悪い演出の数々に圧倒されながらも映画として自分の予想を超えるような事は起きないだろうと思っていた。序盤までは。自分が先程一応と付けたのはその碇ゲンドウ要素がこの映画の半分ほどでしかなかったからである。残りの半分は全く予想していないような物だった。

中盤、物語が別のパートに移る。そこからこの物語、いやこの映画は誰にも先が読めないような軌道を描き始めるのだ。物語ではなく映画と書いたのにもわけがある。普通、映画や小説などを見る時、観客は何となくその作品のスタイルを予想したり、早いうちに読み取ったりして、それにあった楽しみを受容する準備をするはずだ。多くの場合、それは正しい行動であり、より深く作品の世界に入り込んでいくはずの有効な作戦だと僕は思う。どんなに大きな展開が物語上で起こったとしても楽しみ方やそれの受容の仕方にまで変化を生む事は殆どない。だからと言ってその作品がつまらないということは決してないし、そうする事によって見る側を置いていってしまう危険性もあるわけだから当たり前である。それに同じ映画の中で見る側をそこまで翻弄するというのはきっと至難の技なのだろう。だが本作は大胆にそれをやってのける。しかもその変化が起きる前の映画の魅力やテーマ性を持ったままの状態で。

本作の一番凄い点はそこかもしれない。死者への歪んだ愛情、神への挑戦とも取れるような禁忌、嫉妬と暴力に塗れた兄弟関係とそれを近くで見る母などそれ単体で十分ヘビーなテーマを前半で提示し、これでもかというほど鮮烈に描いた上で「いくら追い込まれ変化を強制されたとしても決して奪えない人間の尊厳と意思」という一見それまでとは相容れなそうなテーマに着地するのである。こんな映画、他にあるだろうか。この映画を見終わった時、舐達麻のdelta9kidの「時間は奪えど、心は奪えない」という歌詞を思い出した。まさかこの映画でこんなタイプの感動を味わう事になるとは!

ペドロ アルモドバル、なんて凄い監督なんだろう。